日本書紀にある天地創造の神話がスゴすぎる ねずさんと学ぶ「今こそ!日本書紀」第4回

こんにちは!

ねずさんと学ぶ「今こそ!日本書紀」第4回目ということで、今回も小名木善行先生をお招きして、『日本書紀』について学んでいきます。

これまで、3回にわたってお話を伺ってきましたが、まだ本編に入れていないというくらい、お伝えする内容が盛り沢山にありまして。(笑)

今回、やっと本編に入ります。どうぞよろしくお願い致します!

よろしくお願いします!

1.『日本書紀』の冒頭部分「天地創造」

まず、「天地創造」という、宇宙、国、神話の始まりが描かれている

『日本書紀』の一番初めの部分です。

実はここに、非常に濃いエッセンスが詰まっているということなので、

ぜひその内容を教えてください。

はい、承知致しました。
ところで、
皆さんが作文を書く時は
書き始めに、ものすごく気を遣いませんか?

書き始めてしまうと、何とかなるんだけれど、
書き終わった後に、書き始めのところを
もう一度構成し直したりしますよね?

―はい、何度も直します。

それは、今の人も日本書紀を書いた時代の人たちも全く同じで、
全三十巻の、冒頭の『日本書紀』巻一(まきのいち)のところは、

「古(いにしえ)の 天地(あめつち)未だ剖(わか)れずに…」

といって、タイトルも何もなく、いきなり本文から始まります。

そういった意味では、
本文の最初の部分というのは、
ものすごく重要で、気を遣って書いていたはず
なんです。

それはもう、何度も何度も直しながら書いたものであり、
ある意味では、『日本書紀』全三十巻の全てをその最初の一文に込めた
と言えるわけですね。
本当に重要な部分ですので、
この冒頭の部分は、原文を紹介したいと思います。
是非、皆さんも声に出して読んでいただければ、と思います。


”古(いにしえ)の 天地(あめつち)未(いま)だ剖(わか)れずに
陰陽(めを)も分(わか)れず
鶏子(とりのこ)の如(ごと) 混沌(こんとん)の
広がる海に 牙(きざし)あり

清(すみ)て 陽(あきらか)なるものは
薄く靡(たなび)き 天(あめ)と爲(な)り


重(おも)くて 濁(にご)りたるものは
淹滯(つつ)ひて 地(つち)と爲(な)りにけり

精(くは)しき妙(たへ)は 搏(ひろが)り易(やす)く
重(おも)く濁(にご)るは 竭(かたま)り難(がた)し

故(ゆへ)に 先(さき)には天(あめ)が成(な)り
後(のち)には 土(つち)が定(さだ)まりぬ


2.「天地創造」のエッセンス

「天地が未だに剖れずに…」という混沌のところから
物語が始まるわけですが、
言葉を変えれば、「天地創造」のところですね。

キリスト教の旧約聖書を読むと、
「初めに神ありき」となっています。

神様が最初においでになって、
神様が天地を造っていった、というところから始まるんです。

ところが『日本書紀』では、そうではなくて、
「神様が登場する前」のところから物語が始まっているんですね。

そのなかで、
「清(すみ)て 陽(あき)らかなるもの」が天となっていって、
「重(おも)くて 濁(にご)りたるもの」が土(=地面)となっていった

という書き方をしています。

そうすると、天と地は、
何となく、対立したものに見えるのですが、
その両方は混沌としていて、実は元々は一体だったんだよ
と。

その一体だったものが、
「清(すみ)て陽(あきらか)なるもの」と
「重(おも)くて濁(にご)りたるもの」に剖(わか)れていった
という書き方をしているんですね。

神様が登場するのは、その後なんです。

―確かに、神様はまだ登場していませんね。

神様が登場する前に、天地が生まれたわけですけれども、
実はこの天地というのは、元々一体のものだったんです。

だから、
天がありがたいもので、地は醜いものだ
というような概念はないんですね。

このことを、よく『陰陽(おんみょう)』といいますね。

「陰陽(めを)も分れず…」

という部分がありますけれども、
「めを」というのは『陰陽』のことを言いますから、
陰陽が未だに分かれていないということで、
これも一体だったということを表しています。

つまり、『日本書紀』の冒頭は、

「全ては一体だった」というところから始まっているんです。

これって、概念としてすごいと思いませんか?

最初から一体だったんだよ、と。

世界にはいろんな対立や紛争がありますし、
過去に嫌な思いをしたこともあるかもしれない。

でも、それらは元々全部一緒のものだったんだ
ということなんですね。

その考え方って、すごく日本的ですよね。

 西洋の哲学を学んでいくと、デカルトが唱えた「主(自分)と客(他人)の分離」というところから始まっていて、ずっと頭打ちになっているように思います。

結局、「対立する理論は、一つになれない」ということが、世の中のいろんな不幸を作っているようにも思います。

東洋の思想とか、日本の和の精神の根本が、ここにあるということなんですね。

そういうことですね。

「清(す)みて陽(あき)らかなるもの」

この“陽”という字は、太陽の陽であり、
陽子さんという女性の名前にもありますが、
この、「清くて陽(あき)らかなもの」が天になった、
というイメージは、よく分かりますよね。

じゃあ、

「重くて濁りたるもの」
これが土となったとあるけれど、
重くて濁った、ということは、それは地獄なのか…?
と思ったりしませんか。(笑)

でも、そうではないんだということが、
なんと、最新の地学で証明されている
んです。

2.地球内部の光り輝く世界

地面をずーっと深く掘っていくと、
そこって、「真っ暗闇の世界」のイメージがありませんか?

―そうですね。「じとっとした、暗い世界」のようなイメージですね。

光の届かない、暗い世界のようなイメージがあるじゃないですか。

しかし、地球って、実は卵と同じような構造をしていて、
外側の殻のような部分で地上や海がある部分を「地殻」と言います。

そして、中には柔らかい白身の部分があって、この部分が「マントル」にあたるところですね。

そして、真ん中に黄身のような部分があって、それを「内核」というんです。

卵でいう白身の部分には、マントルがありますが、
地殻を突き破って、マントルの中まで入っていくと、圧力がかかっていますよね。

―そうですね、重力の中心ですもんね。

マントルって、地上に出れば、溶岩石みたいに黒い塊(かたまり)になりますが、
地中においては、圧力がかかっているので、発光するんです。

鉱物って圧力がかかると発光するんですよ。

つまり、比較的浅いところでは、真っ白な光の世界なんですよ。

―そうなんですか!真っ白な光の世界・・・!

そこから、さらに深く掘り下げていくと、
今度はエメラルドグリーンに光り輝く世界になるんです。

―わあ、きれい!エメラルドグリーンの世界!

さらにもっと深いところまで行きますと、
今度は黒い塊が見えてきます。
これがダイヤモンドの世界なんですね。

そこから、さらにもっともっと深くいって、
地球の内核に近づいてくると、内核って実は鉄で出来ています。


鉄は、酸素に触れて錆(さ)びると真っ赤に変色しますが、
錆びていない鉄って、銀色に輝きますよね。

ですから、地球の内部は銀色の世界なんです。

そして、地球の内核って、
きれいなすべすべの球体ではないんですよ。

例えば、山を見ると、一面に色々な木が生えているでしょ?
あんな感じで、表面に、森のように鉄の木が生えているんです。

これが地球の内部ですね。

重くて濁りたるもの」と言いますけれども、
実は光り輝く世界だったということですね。

―へぇーー、面白いですね!見てみたいです。

行ってみますか?(笑)

3.「重くて濁りたるもの」の意義

つまり、「天とは、美しく清らかな世界だ」と言ったり、
「神々の世界というのは、(天の国ということで)天国だ」という言い方もしますけれども。

同時に、
地中の奥深いところも、やはり光の世界なんです。

僕らの時代で言うと、「来たぞ我らがウルトラマン」ですね。

ウルトラマンが生まれた世界は、M78星雲の光の国ではなく、
もしかしたら実は地球の奥深いところだったかもしれません。(笑)

だから、
土は、普段汚いものだと思っているかもしれないけれど、

それは大切なものなんだよ
ということです。

「我々の大切な食べ物というのは、土からできるじゃないか。

 だから、重くて濁りたるものである、どろどろとした黒い土も、神様から授かった大切な宝物なんだ。」

という意思が、冒頭のところに述べられているわけです。

―途中で、「鶏(とり)の子の如(ごと) 混沌の」という表現が出てきますが、これは卵のようなものをイメージしているんですか?

そうですね。
鶏の卵をかき混ぜたような、混沌とした状態のことを言っています。

でも実は地球のことを考えてみると、
確かに、地殻は卵の殻そのものですし、マントルは白身の部分で、
一番真ん中の黄身のところは、地球の内核にあたる部分ですよね。

―ガイア理論という、「地球そのものがひとつの生命体のような働きをしている」といった考え方は、ごく最近になって出てきたものですが、それに近いものが(『日本書紀』の時代に)すでに含まれていますよね。

これが、1300年前に書かれた『日本書紀』なんです。

「清みて陽らかなるもの」は、うすくたなびいて、
広がりやすかったので、先に天が出来上がったんですね。

天という、先に広大なものが出来上がって、その後に地球が出来上がった。
それはそうですよね?

宇宙があって、地球ができるわけですから。

現代の科学で、やっと、きちんと解明されたものが、
1300年前に、すでに書かれていたんです。

4.「清みて陽らかなるもの」とは

―「清みて陽らか」はキーワードだと思うんですけれども、それはどういう状態のことをいうんですか?

よく、辛いこととか悩み事があったりしたときに、
お清めをしたり、お祓いをして頂くというようなことがありますよね。

とにかく清らかになっていくことが、大事なことなんだよ
という風に教えられると思います。

しかし、実は『日本書紀』のなかでは、
それだけではダメなんですよ
と書かれているんです。

「清みて陽らか」の「あきらか」というのは、
太陽の“陽”という字ですね。

”陽子さん”という名前の女性がいらっしゃいますが、
この“陽”には“あたたかい”という意味があります。

太陽の日差しって、ぽかぽかと暖かいじゃないですか。
そして、その暖かい気のことを、「陽気」と言いますよね。

清らかなだけでは、足りないんです。

穢れを祓って清らかになると同時に、明るいことが大切なんだ

ということを言っているんですね。

そして同時に、
重く濁りたるものも、いつもあるんだよと。

例えば、辛いことや悩み事があったり、へこんでしまって、
重い状態になってしまうことって、
生きていれば、やはりみなさんあると思うんです。

でも、その重さも、神様のうちなんだ、ということですね。

重くて濁りたるものも、自分の中の一部だし、
私たちは、重くて濁りたるもの(=土)から、お米や野菜を作って生きているわけですよね。


だから、重くて濁りたるものも、常にあるわけです。

つまり、「悩みって、あっていいじゃん」と言っているわけですね。

―なるほど。そこを否定されたら、立ち上がれないですもんね(笑)

重くて濁りたるものは、いけないものだ」とは、
どこにも書いていませんよね?

清らかなものは広がりやすくて、重く濁ったものは固まり難い。
故に、先に天が出来上がって、後には土が定まった。
そして、天地から神様が登場するわけですから。

「良い・悪い」といった概念ではないんです。

―人間ひとりが完成するのも、天の部分、つまり、なりたい自分とか、高い理想だったり、良い時の自分といった「清みて陽らかなる」自分のときもあれば、「重くて濁りたる」自分の時もあるけれども、両方とも自分なんだよ、っていうことですね。

まさにその通りです。
重くて濁りたる自分が、いけない訳ではないんです。

悩んでいるときに一番大切なこと、
その辛さから回復する素晴らしい方法、
それは、悩んでいる自分に「ありがとう」と感謝することですね。

心臓の真ん中辺りをイメージすると、より一層良い、とか言いますけれどもね。

悩んだり苦しんだりしている自分を認めてあげること、
それがあるから、また頑張ろうという気持ちにもなれるし、朗らかにもなれるし、清らかにもなれる。

もし全部が清らかだったら、清らかな中からまた汚いものを探さなきゃいけなくなっちゃうじゃないですか。(笑)

―確かに、そうですね(笑)

 こうやってお話を聞いていると、初めの一節はすごく深くて、本当にいい言葉だと感じました。実際、朗読して読んでみると、読みながら自分自身がすごく調っていく感覚があったんですよね。

 もし皆さんも、自分の中に重くなった部分があって、「清みて陽らかじゃないな」というときには、自分を糺(ただ)すという意味でも、是非この一節を声に出して読んで頂けたらなと思います。

5.まとめ

ということで、最初の一巻の初めのところには、全三十巻をまとめる、とても大事なメッセージが込められているということで、その内容について教えて頂きました。

どうもありがとうございました!

はい、ありがとうございました!

講師紹介

国史啓蒙家。浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。またインターネット上で、愛称「ねずさん」としてブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。