孔子と老子を結ぶ、日本の人間学

近年、日本の大学生の学力低下が叫ばれる中、教育界に一石を投じるべく発足したプロジェクトが「結美大学」。

科学と宗教、西洋と東洋、理系と文系など、対立する思想や概念をも一つにむすび合わせる“真の教養”を大人でも学べる、今までにない学び舎です。

今回は、松本道弘先生と小田全宏先生をお迎えして熱い議論を交わしていただきました。 その一部をご紹介します。

1.なぜ、易経が広まらないのか?

私は、今日初めて小田さんとお会いするのですが、彦根生まれで、東大法学部卒業、その後、松下政経塾に入る……と。

なんともエリートな人生ですね。

小田さんは易経の考え方を用いてコンサルタントをやっていらっしゃいます。

易経はものすごい歴史を持っていて、易経が影響を与えた人物は多い。

にもかかわらず、「易経というのはすごく難しいからオレにはついていけない、どうせ東大の法学部卒のようなエリートにしかわからないものなのだろう」という人は多いですよね。

易経が広まらない原因は、ずばり、何なのでしょうか?

たとえばね、安岡正篤先生が『易学入門』という本を書いていらっしゃいますが、やっぱり、読んでも難しいんですよ。

でも、それが二千数百年の間、歴史に残っているのなら、僕ら一般人がわからないようでは、「人生における教え」たることはないだろう、と思ったんですよね。

そうなんですね。

でも私は、厳しい言い方に聞こえるかもしれませんが、易経が日本で広まらないのは、易経の発祥の地が中国であることが、カギだと思うんです。

思想家・和辻哲郎が記した『風土』によると、中国は、気候的に“乾いたところ”に分類されます。

そのため、水に対する気持ちが弱いと思うんです。

要するに、思考が乾いているんですよ。

一方、島国である日本には、水がないといけないんですね。

僕の場合は、「英語道」というものを提唱していますが、「道」というものは、じつは、老子の考え方に近いんです。

では、「道」とは何か、と「定義」されたら、それはもう、道じゃないんですよ。

さて、老子といえば、よく孔子と、対比されますよね。

ここで浮かび上がってくるのは、孔子がなぜ易経にそこまで染まって、老子がそこまで乗らなかったのか、という問いなのです。

それに対する意見をお伺いできますか?

2.孔子がなぜ易経にそこまで染まって、老子がそこまで乗らなかったのか?

その辺はねえ……実際に老子さんに聞いてみないとわからないのですけれども(笑)、孔子さんは、易経を最高の学問とされたんですよね。

私が面白いなと思うのは、孔子が、自分でリーダーの道をビシっと決めて、「私がやるとおりにやったら国が治まるぞ!だから私を雇ってくれ!」と言ったにも関わらず、誰も雇わなかったことなんです。

反対に、老子は方々から「来てくれ、来てくれ!」と言われたんだけれども、「私は行かない」と、タオの道に入ってい
く、という……。

あれは不思議ですよね。

不思議だよね。

あるインド人の哲学者が、老子と孔子の出会いについて書いているんだけれども、そこでは、こんな風に言われているんです。

孔子には、弟子がいっぱい集まってくる。

けれども、人に雇ってもらえなかった。

当時は就職難で仕事がない。

孔子はどこに行っても、「お前は言っていることが難しい。頭が良すぎるんだ」と言われる。

ところがね、孔子の場合は、弟子がいいんですよ。

弟子のひとりが孔子に、「先生のほかにもう一人、老子さんというエライ先生がいるらしいですよ。この人に会いませんか?」と言うんです。

そうしたら孔子も、「老子? 気になる男だ……」と、老子に会いに行くんです。

そして、孔子が部屋に入って行くと、老子がそこに座っているんです。

孔子が、「僕はどこに座ればいいかね?」と聞きます。

孔子は、老子より年齢が上なので、立ったまま、老子に話しかけるんですよ。

老子は座って、下から孔子を見上げ、「いや、あなたは、勝手にどこでも座ったらいいでしょ」と言ったんです。

すると、孔子はムッとする。

老子には礼儀がないのか、と。

それで、そのまま帰っちゃった。

帰ってきた孔子に対して、弟子が「老子さんという人は、どんな人でしたか?」と聞くと、孔子はこう答えました。

「さっぱりわからん。しかし、老子というやつは……龍みた
いに、つかみどころのない人間だった」と。

こんな老子のような人物の考え方は、まるで水のようで、システム化できないよね。

このように、中国の流れは、孔子と老子という、二人の人物が源流となっているのです。

孔子は孔子廟を建てたり、とにかく「カタチ」が好きなんですよ。

老子の方は、のちに老荘思想が誕生して、法輪功もできて、というように、流れができますが、なんで孔子のほうだけ
は止まってしまうのか。

もっと孔子の考え方に使い道がないかな、と考えているんですよ。

日本なら、孔子をもっと生かせますよ。

孔子と老子でケンカしなくても、それらをくっつけることができるんじゃないかな、と思います

江戸時代は、孔子を祖とする儒教の先にある朱子学というものを、当時の徳川家康はみごとに使ったな、と思います。

そのあと明治時代になってからは反対に、儒教の朱子学はなしになりました。

その後はご存じのとおり、天皇を中心とした神道が国の支柱
になりましたが、戦争が終わってからはそれも全部なしになって、今は空白の状態だと思います。

しかし、日本には元来、神道も仏教も、それから儒教も、全部ひっくるめた「武士道」がある。

新渡戸稲造博士が、日本には「これこそが日本人の中心軸となる宗教だ」というものはないけれども、それを全部包含した「武士道」というものがある、と主張するために、提唱されたものですね。

新渡戸博士が改めて日本をみたときに、様々な東洋哲学を全部をひっくるめた「武士道」が、人々の心のなかにあるんだ、というのです。

ですから、私が思うに、中国には今先生が仰っているような、易そのものが大陸のものだから、水を怖いものとして遠ざけている、という意識が、もともとあまりなかったので
すよね。

もともと中国では五行という、木火土金水という五つの要素をもって、天地自然の理法としているんだという風に思っています。

3.どうして「易経コンサルタント」という名前を出さなかったのか?

なるほどね。

だけど、どうして小田さんが、「易経コンサルタント」という名前を出さなかったのか。

易経にはこんなに歴史があるのだから、私が易経を教えますよ、易経を学べば企業は栄えますよ、と、どうして言わないのですか。

僕自身は、もともと松下幸之助さんのところで学んでいたので、松下幸之助さんの考え方が、もともとのベースなんです。

あ、こういう考え方いいな、と思って、そこを軸としてやっていたなかで、途中から易も勉強してやっているんです。

最初の二十代の時から「易経をやるぞ!」とやっていたわけではないのですよ。

では、松下幸之助が、易経をやっていたわけではない、と。

はい、そういうわけではないですね。

では、小田先生はどうして易の勉強を始められたのですか?

パッと、思いつきで始められたのですか?

そうですね、松下幸之助さんが、「人間学」というのを一生懸命勉強していらして、その人間学の中で、やはり、易っていうものは勉強せんといかんな、ということを感じたのですよね。

じつは、易というか、占いというのは、僕はもともと嫌いだったんですよ。

なるほど、そうだったんですね。

第三者にね、「あんたの人生、こうだ!」なんて言われるのは、嫌ですから。

そういうのは、全く受けつけない人だったんですけれど、世の中に、どうみても人知を超えたエネルギーを解読する人がいるのは感じるんですよ。

いわゆる超能力者というか。

たとえば、香港とか台湾に行くと、占い横丁ってあるじゃないですか。

ああいう人たちを見ていると、僕の感覚から言うと、それは超能力ではなくて、すごく話が上手だな、と見えるんですよ。

特別な才能がある、っていうよりも。

でも、たまに、この人はインチキじゃなくて、本当に見えていたり聞こえていたりするな、っていう人が存在する、ということに気づきましたね。

そして、僕らが知っている論理を超えた世界というものを無視していてはいけないな、と思いましたね。

4.松下幸之助と易経

今、小田さんの話を伺っていたら、松下先生と易経の話は、関係がないはずなんだけれども、どこか通じる。松下幸之助の生き方は、易経に近いところはあるんですかね。

たしかに、ありますね!

松下電器では、広告などに、「買ってもらう」という書き方をする。

幸之助の考え方は、下におりていきますよね。

「僕は学はないんだから」と言いながらも、みんなを動かしていますよね。

だから、水のようだ、という意味で老子に近いんだけれども、同じように、易経にも、近いところはありますよね。

そうですね。

たとえば、「成功哲学」って、ありますよね。こういう言い方をすると語弊があるかもしれませんが、「自分で志を立て、ビジョンを立てて、信念を貫いたら成功する」というオーソドックスな成功哲学がありますけれども、松下さんを見ていると、そういう成功者とは違うんですよ。

たとえば、こんな話を聞いたことがあるんです。

松下さんが、京都の大徳寺の老師と話している時のこと。

松下さんが老師に「禅の将来はどうなりますか」と尋ねられたそうです。

すると老師は、「自然消滅ですわ」、とこうおっしゃったんですよ。

それを聞いて松下さんが、「え、あんさん、禅を広めてはるのに、自然消滅って寂しゅうおまへんか?」と尋ねたら、老師は「いや、寂しいかどうかは別にして、自然消滅ですわ」と、こうおっしゃったんですよ。

そうしたら今度は松下さんが、「松下電器も自然消滅するんでっか?」と尋ねたところ、「そうでんなあ」と、二人で笑ったらしいんです。

なかなか、深いんですよ。

ははは! すごい! 深い!

だから、「こうこう、こうしたら成功して、どんどん大きくなって……」じゃないのですよ……。

そこがなんともこう、渋い、っていうかね。

いいねえ、うーん……。

それは、すごいね……。

もしもみんながお金持ちになって、みんなが大豪邸に住んで、……ってなったら、たぶん地球はもたないでしょう。

そういう色々な生々流転をしていく中に、人生があるという
ことを、松下さんは言っているような気がしますね。

なるほど、松下幸之助先生は“循環”を大切にした。

これはまさに、易経に通じる考え方ですね。

これからの時代にいちばん必要になる事でしょう。

本当にそうですね。ありがとうございます。

では、今回は、どうもありがとうございました。


講師紹介


1940年大阪生まれ。関西学院大学卒業。日商岩井に勤務する間に、海外渡航の経験なしに独力で英語を磨く。その後、西山千氏(アポロ月面着陸時に、日本で初めて英日同時通訳)に師事し、その推挙でアメリカ大使館の同時通訳者となり、後にNHKテレビ上級英語講座の講師を勤める。日本にディベートを広めたことでも知られる。(ディベート教育暦約40年)現在、紘道館館長、国際ディベート学会会長。インターネットテレビNONES CHANNELで有名英語雑誌「TIME」の解説番組「TIMEを読む」に毎週出演。提唱する英語道に基づいたICEEコミュニケーション検定試験を年1回主催。英語教育や日本文化に関して140冊を越える著作がある。 CHANNELで有名英語雑誌「TIME」の解説番組「TIMEを読む」に毎週出演。提唱する英語道に基づいたICEEコミュニケーション検定試験を年1回主催。英語教育や日本文化に関して140冊を越える著作がある。

(株)ルネッサンス・ユニバーシティ 代表取締役。NPO法人 日本政策フロンティア 理事長。認定NPO法人 富士山世界遺産国民会議 運営委員会委員長。リンカーン・フォーラム 創始者 兼 名誉顧問。一般社団法人 未来音楽企画 理事長。アクティブ・ブレイン協会 会長。1958年、彦根市生まれ。東京大学法学部を卒業後、(財)松下政経塾に入塾。松下幸之助翁指導のもと、一貫して人間教育を研究。1991年、株式会社ルネッサンス・ユニバーシティを設立。多くの企業で「陽転思考」を中心とした講演と人材教育実践活動を行い好評を博す。1996年には、リンカーン・フォーラムを設立し、全国で立候補者による<公開討論会>を実現させる。また、京セラの稲盛和夫名誉会長を最高顧問に迎え、NPO法人「日本政策フロンティア」を設立し、理事長を務める傍ら、認定NPO法人「富士山世界遺産国民会議」運営委員長として世界遺産登録の実績を残す。2004年より始めた「アクティブ・ブレインセミナー」は全国で好評開催中。2007年3月にはサントリーホールにてフルートリサイタルを開催。その後作曲もてがけ、2011年2月、サントリーホール大ホールにて、自作の交響組曲「大和」をオーケストラの演奏で指揮をする。