玉音放送を分かりやすく解説 日本人なら知っておくべき昭和天皇による『終戦の詔勅』の意味

こんにちは、むすび大学ナビゲーターのこがみのりです。

皆さんは玉音放送と聞くと、何を思い出されますでしょうか。

私は最初に聞いたときは、この放送を聞いてる人達というのは、

戦争に負けて悔しい、苦しい、悲しい、

本当に耐えがたいものだった、

という風に受け取っているように思っていたんですけれども

実はそうではなかったんですよね。

そうなんですよ。

これは本当に印象操作でして、
まずは、その印象操作でよく使れているところを
見て頂きたいと思います。
  
“然れども朕(天皇)は時運の赴くところ
 (しかし、ここは時勢のおもむくところに従い)
 
 耐えがたきを耐え

 忍び難きを忍び、

 以て万世の為に

 (それをもって万国の未来 子々孫々のために)

 太平を開かんと欲す
 (太平の世への一歩を踏み出したいと思います)

 
毎年終戦記念日になりますと、
この部分ばかりが繰り返し繰り返しテレビで流されるので、
玉音放送といえばここだけのようなイメージを
持っていらっしゃる方が多いのではないかと思います。
 
ところが、実際には、
玉音放送をちゃんと見ていきますと、
そもそもこの戦争が何のための戦争だったのか、
未来の建設に向けて国民がこれから何をしていかなければならないのか


ということを陛下が明確に述べられているんですね。
 
ですから、“未来への建設”にまで言及されている
非常に深い内容をもったものなんです。

そのことについて、掘り下げてみたいと思います。

1.日本の歴史における、玉音放送

まずこの「玉音放送」という名前なんですが
 「玉音」というのは、実は陛下の御声のことをいいます。
 
我が国の歴史の中で、
天皇陛下が全国民に向けて玉音を発せられたというのは
たった3回しかないんです。

たったの3回ですか!この長い歴史の中で。

そうなんです。

もちろん、放送という仕組みができたことによって
それができるようになったということもあるんですが、
現在においても、国会の開催の時に
陛下がお越しになりまして、国会の開会宣言をします。

しかし、この開会宣言は、
国会議事堂の中においでになる国会議員に対しての玉音であって
全国民に対してではありません。

国体の開会宣言の時にも
陛下の言葉を賜ることがありますけれども、
それもあくまでもそのスタジアムにいる人に対してのみ
向けられた言葉であって、
全国民に対するものというのはなかなか無いんですね。
 
では、歴史上ある3つというのは何かと申しますと、
1つがこの終戦の時の玉音放送ですね。

そして2つ目が、
東北地方太平洋沖地震に関する、先帝陛下の
国民に向けてのビデオメッセージです。

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それから3つ目が、
先帝陛下の象徴としてのお務めについてのおことばです。

3つ目のメッセージは、国民に向けてというよりも、
むしろ全世界に向けてというイメージなんですけれども。
 
わが国の歴史というのは2687年あるわけですが、
我が国のこの長い歴史を通じて

全国民に対する玉音というのは、たったの3回しかないんです。
 
その中の初めての出来事が、
実はこの『終戦のご詔勅』だったということになります。

2.天皇はご詔勅で何を語られたのか

これはもう、すごく大きなことだったということですよね。

そうなんです。

このご詔勅の内容を見ていきますと、
一番初めに「朕は深く世界の大勢…」とありますが、
文語体で少し難しいですから、現代語に訳していきますね。

「朕(天皇)は深く、
 世界の大勢と帝国の現状をかえりみて、
 非常の措置をもって

 事態を収拾しようと考え、
 ここに忠実にして善良なる汝ら臣民に告げる」

と、こういう風に言葉が始まっているわけです。

この中で“非常の措置をもって”と言われているのが、
国家の「非常大権」というものでして、とても重要な概念になります。
 
よく「非常大権」というと、
大日本帝国憲法の中に定められたものであると、
非常に限定的なものとして捉えていらっしゃる先生も
多くいらっしゃるんですけれども、国内限定というものではありません。

例えば、アメリカ合衆国における大統領というのは、
唯一、合衆国の非常大権を持った存在ということになります。

仮にアメリカ合衆国にどこかの国がミサイルを撃ち込んで、
大変な被害が起こったという時に、
大統領が「非常大権」をもって、
相手国に対して報復措置を行う、ということができるんです。
 
国に何かがあった時に、
憲法や法律というものを無視して行動することができる権利
というのが非常大権であり、
かつ、戦争が起こった時には、
その戦争を終わらせる権利でもあるわけです

戦争を終わらせる時に、誰が終わらせるのかって大事でしょ?

例えば、国民主権って言いますけれども、
国民の一人一人が全部”主権者”だったら
戦争を終わらせるときには
全部の国民一人一人と終戦条約を交わさなきゃいけないんでしょうか。

そんなバカな話はありませんよね。

最終的にこの人が調印を納得してくれればこれで戦争は終わり
という誰か一人の非常大権を持った人がいなければならないわけです。

 
そういう意味で、終戦のご詔勅の中にある
「非常の措置をもって」というのは、
”内閣や国会や軍隊などを全部超越して、
陛下がすべての事態をお治めになる”ということです。

いきなり
「朕は深く世界の大勢と帝国の現状を鑑みて、
 非常の措置をもって…」と、そこから始まるんです。

ですから、これはすごいご詔勅なんですね。

そして、そもそもこの戦争がなぜ行われたかということも
この終戦のご詔勅の中で述べられています。

米英の二国に宣戦した理由も、

「実に、帝国の独立自存と

 東アジア全域の安定とを希求したものであって、
 海外に出て他国の主権を奪い、
 領土を侵略するがごときは、
 もとより朕の志すところではない」

とはっきりと述べられています。


ですから、この戦争において、

日本には全く侵略の意図はなかったんですね。

侵略どころか、あくまでも植民地支配されていて
奴隷のように主権を一切認められない
といったような東亜の人々を、

自分達の国というものを改めて築いてもらって
お互いに対等な関係を築きながら、
経済的にも文化的にも一緒になって繁栄していこうよ
。」

と、そういう理由でこの戦争が始まったんだということも
ちゃんと述べられているわけですね。

それだけではなくて、
さらにこの終戦のご詔勅の中で、
戦禍を負った人たち、特に戦傷を負った人たち、
あるいは、家も土地も職場も失った人たち、
健康や生活の保障がされなくなってしまった人たち、
こういった人達に対して、

「朕の心より深く憂うるところである」

という言葉を述べられているんですね。


実はこれも非常に大事なことなんです。

戦争に行けば、死んでしまう人ばかりではなくて、
怪我をする戦傷者の方が人がいるじゃないですか。

軍人さんも含め、怪我をした人って
ものすごく負担が重たいわけです。

怪我をすれば、当然医療チームがいて、
その怪我人の治療をします。
銃を持って再び戦うことができるようになれば
戦力になる訳ですから、当然のことですね。

しかし、その怪我によって、
腕がなくなってしまった、足がなくなってしまった、
そういう人たちが軍隊を出て、
社会に戻ったときにはどうするのでしょうか?

腕がない、脚がない、歩行することができない、
じゃあ、どこの会社が雇ってくれるんですか?
という話になるわけです。

これは大きな問題だと思いませんか?

確かにそうですね。

実は、戦前・戦中までの日本では、
戦傷者の方たちが必ず一人ひとり自立して、
自分でちゃんとごはんを食べていくことができるように、様々な形で国家として手当てをしてました。

しかし、実はこれがあったのは日本だけなんです。

すごいですね。他の国にはなかったんですか?

なかったですね。

他の国では、怪我をして帰って来て、働けない人も
「自分で何とかしなさい」と。

めちゃくちゃな話ですね……

軍人さんとしての恩給は当然払いますよ。
でも別に、けがしたからといって
特別なことはなかったんです。

ただ、普通の生活ができないわけですから、
どうするんですか?という話になる訳ですけれども、 
「いや、それは戦争だからね、仕方がないね」と。

これはもう少し古い時代になりますと、
戦傷者は”いなかった”ことにされるというのが
世界の一般でした。
 
どこか適当に修道院とか、
そういうところに押し込めてしまって、
世間から見えなくしてしまうんです。

で、いなかったことにしてしまう。

結構ツライですね…それは。

ドライといえばどドライですし、
やはりそういうものを見せたくないという
権力者の気持ちも分からなくはないですが、
実際に国のために戦うということになれば
ケガをする人も出るわけで、
そういった人たちをどうするかというのは
とても重要な問題ですよね。

そして、実は日本が占領された後 、
GHQ によって占領統治がされますけれども、
昭和20年から昭和27年までの間、
戦傷者というのは全く恩給をもらうことができませんでした。

GHQ の考え方としては、
「日本軍は存在しなかった」という考え方ですから、
当然戦争によって障害を負った人たちも
世の中には存在しないということになります。

存在しないものに対して
障害者手当を支給することはできないということで
全く手当がなかったんです。


ですから、占領統治下の7年間というのは、
傷痍軍人さん達というのはもの凄く苦しい生活をしていました。

昭和27年の4月に日本が主権を回復した時に、
政府が、いの一番で、最初に行ったことは、
“障害者に対する年金の復活”だったんです。

なんか本当に、それを聞くだけでも、

戦争に対するイメージって、すごく変わってくると思うんですよね。

戦争は良くなかったっていう。

確かに、暗い記憶ではあるんですけれども、

そうやって戦地に行ってくれた人、国のために戦ってくれた人、

身を粉にしてくれた人たちに対して、

ちゃんとお心配りをして頂いているということは、あまり知らなかったです。

そのことが、玉音放送の中でちゃんと述べられているんです。

陛下が、健康と生活の保障ができないということに対しては、
「朕の心より深く憂うるところである」
という風に述べられています。

だからこそ、日本が主権を回復した時に
いの一番で復活したのが、先ほど申し上げた
”障害者に対する年金の復活”なんですね。

3.最後に述べられた、全国民へのメッセージ

そして、もう一つ。
めちゃくちゃ大事なポイントがあります。

これは終戦の詔勅の中で、
陛下が一番最後に述べられていることで、
全国民に対するメッセージになります。
 
何と述べられているかといいますとね、
 
「もし事態に逆らって 
 激情の赴くまま事件を頻発させ、
 あるいは同胞同士で排斥し合って

 お互いに情勢を悪化させて、
 そのために天下の大道を踏みあやまり、
 世界の信義を失うがごとき事態は、
 朕のもっとも戒めるところである。

 そのことを、国を挙げて
 各家庭でも子孫に語り伝えなさい。

 そして、神国日本の不滅を信じ、
 任務は重く、道は遠いことを思い、
 持てる力のすべてを未来への建設に傾けて、

 道義を重んじて、志操を堅固に保ち、
 誓って国体の精髄と美質を発揮し、
 世界の進む道に遅れを取らぬよう心がけなさい。

 汝ら臣民、以上のことを朕が意志として体せよ。

 
という風に陛下は述べられたんですね。
 
誓って国体の精髄と美質を発揮し」とありますが、
この”国体の精髄”とは何かといえば、
ちゃんと一人ひとりの国民が
物事に対して責任を持って事に当たる

ということなんですね。


何かをするということは、当然そこに責任が発生します。

その責任をきちんと一人ひとりが全うして行ったら、
とても素晴らしい国になっていくということ
ですね。

仕事でもそうですよね。
素晴らしい仕事ができると思いませんか?
 
現実に、今、戦争が終わって70数年経ちますけれども、
例えば今の内閣の人たち、行政の官僚たち、
あるいは国会議員さんたち、
発言にちゃんと責任をとっているのか?と。
 
ですから、陛下が終戦の詔勅で述べられたことが
未だに我が日本は十分に実現できていないということは、
我々日本人として、深く恥ずべきだという風に

思うべきところなのかなと思います。

今回、本当にすごいなあと思ったのが、

この時代の戦争の最中にあって、陛下の言葉で国民全員にこれを伝える、

そのお言葉の中に、すごく想いがあるということですよね。

これまでは、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の部分が印象に残りすぎていて、

どこか重苦しいもののように感じていたんですけれども、

ちゃんと全文を読んでみると、

なぜその戦争を始めないといけなかったのか、

どういう思いだったのか、

そして今、どういう思いでこの戦争を終わらせているのか、

さらに、国民に対してこの後の生き方の指針まで示されているじゃないですか。

この当時の人って、戦争が終わるとき、

この玉音放送を聞いて、泣き崩れてるようなイメージが結構あったんですけれども、

読んでいくうちに、

戦争が終わって悔しくて泣いてたのではなく、

この陛下の御心と、国民全員に対するお心配りというか、思いやりを感じて、

「皆で一緒に生きていかないと」

と、そういう気持ちでみんなこれを受け止めたのかなと、思うようになりました。

だから、内容の一部だけを軽くとって

「こうなんじゃないかな」と、イメージを持つということは、

すごく無責任なことだと思いましたし、

陛下のお言葉一つとっても、

いろんな国でいろんな憲法や決まりがある中で、

こんなにも思いやりでできた決まりというか、お言葉があったかと思うと、

この時代の戦争の最中で、このような温かみのある言葉を発せられる陛下というのは、

浅い言葉になってしまうんですけれども、本当にすごいなと思って。

表面的に出ている情報だけで、

「あ、玉音放送ね。」ではないんだなというのが、すごく伝わってきました。

玉音放送がされている時に、
皇居前で地面に土下座して泣き崩れている人たちの写真って残ってるじゃないですか。

陛下の玉音ですから、
この人たちは、初めはちゃんと
不動の姿勢をとって放送を聞いていたんです。

でも、聞いてるうちに頭が下がる、
頭が下がるだけではなくて、もう膝が崩れてしまって、
地面に座り込んで、両手をついて、
もう涙をぽたぽた垂らすしかなかった。
 
それは何故かといえば、
戦争に負けて悔しいと言って泣いてるのではなくて、
本当に今おっしゃったとおりなんですよ。

もうその深い愛情が本当に心に染みて、
「頑張ります…頑張ります…」と言いながら、
こうもう本当に滂沱(ぼうだ)の涙を流していたということなんですね。
 
それをすごくねじ曲げて、
「負けた~、悔しい~、もっとやるんだ~」って、

そういう軽いものではないと思います。

3.まとめ

今回は、終戦の日に発せられた玉音放送のことを小名木先生にお伺いしました。

ぜひ皆さんも、「玉音放送 原文」とか「玉音放送 内容」という形で、

ネットで調べて頂きますと全文が出てきますので、

一度全文を読んで頂ければと思います。

特に、小名木先生の『ねずブロ』の方で、解説などもされてますので、

ぜひそちらを読んでみて、

実際はどういうものだったのかということを、ご自身の目で見て頂き、

思うところを感じていただきたいなと思います。

ということで、小名木先生、今回もありがとうございました!

こちらこそ、ありがとうございました!

講師紹介

国史啓蒙家。浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。またインターネット上で、愛称「ねずさん」としてブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。