こんにちは。
むすび大学ナビゲーターのこがみのりです。
毎年、8月6日、8月9日と、原爆の日がやってきます。そして、原爆が広島と長崎に落とされた、という事実は皆さんご存知だと思います。
ただ、この広島と長崎とでは、落とされた原爆の種類が違った、そこに、絶対に日本人が知っておかなければならない真実がありました。
今日はその真実について、小名木先生にお話を伺いたいと思います。
小名木先生、よろしくお願いします。
よろしくお願いします!

1.広島と長崎、それぞれに落とされた原爆の真実
広島は8月6日、長崎は8月9日が、毎年原爆の日ということで、様々な平和式典が行われています。
ただ、広島に落とされた原爆と長崎に落とされた原爆とでは、それぞれ種類が違います。
広島がウラン235型で、長崎がプルトニウム型ですね。
核爆弾であることに違いはない、と言ってしまえばそれまでなのですが、技術的な部分での違いはありました。
ウラン型というのは、プルトニウム型と比べて、数が量産しづらい。
値段が高く、コストがかかるんですね。
一方、プルトニウム型というのは、値段が安く、作りやすい。
ところが、放射能が強くて、取り扱いがものすごく難しい、といった特徴があるんです。
ただ、重要なことは、そこではありません。
なぜ、広島と長崎とで、それぞれ違う種類の原爆が落とされたのかということです。
実は、『マンハッタン計画』という、アメリカが原爆を作成して落とそうとしたという計画があって、これを推進したチームがあるんですね。
このチームが、広島と長崎に原爆を落とした後で、公式な声明を発表しているんです。
その公式声明というのが、「我々は2度の原爆“実験“に成功した」というものだったんです。

―その2度って、広島と長崎ですか?
その通りです。
広島の原爆も、長崎の原爆も、アメリカからしてみると、ただの実験だったということです。
ただ、実験とはいっても、
現実問題として、広島で約20万人の方々が亡くなり、また長崎では、約14万9000人の市民が犠牲になったわけですから、実験で済まされる話ではないでしょう。
―私たちが原爆のことを聞く時は、「日本が全然戦争を止めないから、その日本に対して『もう、これ以上戦争をしたくない』と思わせるために、敢えてそんなものを使ったんだ」という風に認識していました。
「日本に戦争攻撃を止めさせるため」と言われていますが、原爆が落とされたのは、8月の初めです。
6月の時点で「もうすでに日本には抵抗力がなく、日本は間違いなく降参するであろう」という公式な報告が、米軍からアメリカの大統領府に上がっています。
さらに、戦争が終わった後になりますが、
「すでに日本は完全に負ける状況にあって、仮に原爆を落とさなかったとしても、確実に11月、12月までには降伏したであろう」ということも、米軍から報告として上がっているんですね。
戦争が終わった後に、その戦争の経緯を全部きちんと追跡してまとめる文書があるのですが、はっきりと、そう書かれています。
つまり、その段階では、原爆を落とす必要性がもう無い、ということが明確だった。
必要性が無いことが明確だったにも関わらず、原爆を落としたのはなぜかというと、それは“実験のため”だったと。
―それを聞くと、何とも言えない気持ちになりますね…
繰り返しになりますが、その実験によって、広島で約20万人、長崎では約14万9000人という市民が犠牲となり、
それだけではなくて、その後に原爆の熱線を浴びて、その何倍もの多くの人々が苦しみ続けることになりました。
原爆症というものを、ずっとその後まで後遺症として引きずることになってしまった、というわけです。
これだけ大きな被害が起きた事件であり、しかも GEによって起こされた核爆発事件であるにもかかわらず、
どうにも納得できないのは「種類がそれぞれ違っていた」ということです。
そして、その種類が違っていた理由が、「実験だったから」ですよ。
何だよそれ、ということになってしまいますよね。
つまり、なぜ日本の広島と長崎が実験対象になったのかといえば、その段階で「実験として日本人を殺しても日本から反逆されることは100%ない」と判断されたからなんです。
それくらい日本に抵抗力がない、ということが分かっているからやった、と。
抵抗力が残っていたのだとしたら、怖くて仕方ないですからね。
「日本に原爆を落としたら、反対にアメリカも原爆を落とされた」ということになれば、困るでしょう。
「原爆を落とされることはない」と分かっていた。そして、日本側には、抵抗力がなかった。だから、安心して日本人を殺す実験をすることができた。
日本人は、モルモットのように使われたんです。
やはりここは、我々がきちんと考えなければならないところだと思います。
2.広島平和記念公園の石碑に刻まれた想い

広島の原爆公園に行きますとね、
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と書かれた石碑が建っています。
しかし、「過ちを繰り返さない」、その“過ち”を起こしたのは一体誰なのでしょうか。
日本が戦争をはじめたから、その日本を降参させるため、懲らしめるためにやったんだ、と言いたいのでしょうか。
つまり、日本が起こした戦争自体が悪かったんですよ、と言いたいのでしょうか。
もし、そうであるとするならば、いくら実験とはいえ、20万人、15万人という人を殺しても構わないんですか、と。
これは、大きな問題ではないでしょうか。
何が正解か、ということは申しませんし、どうしたらいいか、ということも、今回、敢えてここでは申し上げません。
ただ、少なくとも我々日本人が、自分の妻や子が、あるいは友人や恋人が、親やきょうだいが、
「実験材料にされて殺される」ということが繰り返されてはならない、ということが、大切なことだと言えるのではないでしょうか。
このことを、今回は強く申し上げたいなと思います。
―たしかに、その石碑の中にある「安らかに眠って下さい」とは、おそらく主語は、そこで亡くなられた方達だと思いますが、
その後の「過ちは繰り返しませぬから」という文章を、現代の教育下にある私たちが、何気なく聞いてしまうと、おそらく「’’私たち日本人’’が過ちを犯しませぬから」という意味に捉えてしまうと思います。実際、私もそう捉えていました。
ですが、やはりここで「あえて’’主語がない’’」ことの意味を、汲み取っていかなければいけないのではないでしょうか。
結局「この文章の真意をどう解釈するか」ということは、後の世の人たちの判断に託されている、と思います。ですから、私たち読み解く側の人間には、作者の意図を察しながら読んでいく責任があるのだと思います。
おそらく、こうやって全面的に出す、石に刻むということは、良くも悪くもずっと残るし、人の目にもさらされるという中で、
「当時の日本においては、おそらく、この表現が最大限だったのではないか」というところまで慮(おもんぱか)って読むと、主語や、意味に込められた先人たちの思いを、より深く、これまでとは違った風に感じ取れるのではないかなと思います。
真の「学問」においては、「一つの物事を、深く深く突き詰めていく」ことが重要だと思うんですね。
例えば、このたった1行の短い文章からでも、どこまでも深く深く感じていくことができると思うので、
言葉の表面的なものだけを受け取って「あ、こういうことね」と言って終わるのではなくて、短い言葉の奥に秘められた思いを感じていくことは、とても大事なことだと思います。
ご自分の中でも、「相手の心を思いやりながら、読み深めていく」ということをすると、きっとこの石碑に刻まれた意味を感じていただけるのではないかな、と思います。
今回、この石碑の意味をもう一度見直すきっかけになるようなお話を、小名木先生に頂けたと思っています。
ありがとうございます。
「原爆」ということに関して言うと、チェルノブイリ(1986年)でも、福島(2011年)でも、原発事故がありました。
しかし、広島に落とされた原爆、あるいは長崎に落とされた原爆というのは、人類が故意に、同じ’’人類’’を殺すために用いられた原爆であったということです。
しかもそれが実験として行われた、という事実にあって、我々人類にとって、「’’過ち’’とはいったい何であろうか」ということを、改めて考えていかなければならないのではないでしょうか。
日本が悪いことをした、という色眼鏡で見たり、あるいは、政治的に捉えるのではなくて、もう少し謙虚な視点で、「人間として、何が大切なのか」ということを改めて考える材料にしていただくことが、一番大切ではないかと思います。
―ということで、今回は小名木先生に、広島と長崎、この2カ所に落とされた原爆の違いの理由をお話し頂きました。
小名木先生、ありがとうございました。
ありがとうございました!

講師紹介
国史啓蒙家。浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。またインターネット上で、愛称「ねずさん」としてブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。
小名木善行先生のブログ「ねずさんのひとりごと」 https://nezu3344.com/