11月3日(文化の日)に開催された松本道弘の映画道場。
今回の題材は、歴史ドキュメンタリー映画『東京裁判』でした。

「東京裁判」とは、日本人のアイデンティティを根幹から揺るがす歴史的な出来事だ、と感じている人もいる一方で、そのことを知っている日本人はほとんどいない、と言うのもまた事実。
おそらく、学校の歴史の教科書にはちらっと載っているくらいで、その中身を詳しく聞く機会がないから、でしょう。
だからこそ、国際人を目指す人には、ぜひ日本の真実を学んでおくことが大切、という想いから、松本先生が題材に選んだ映画です。
学びを進めていくと、こんな感想が聞こえてきました。
「こんな大事なことを知らずに、
今まで生きてきたなんて、ショック……」
知れば知るほど、日本人としてのアイデンティティがひっくり返る思いがする、というのです。

「東京裁判」とは、第二次大戦後に実際にあった裁判です。(「極東国際軍事裁判」とも呼ばれています)
定義上は、終戦後に連合国(戦勝国)側が「戦争犯罪人」として指定した日本の指導者などを裁いた軍事裁判だとされています。
…しかし!
戦勝国が、敗戦国を一方的に裁判で裁くことは「国際法」で禁じられています。そんな法律なんてお構いなしに行われたのがこの「東京裁判」でした。
日本人が戦争に対する罪悪感を強く感じるようになったのはこの裁判がきっかけと言われています。でも、そんなことを知る人はほとんどいません。
つまり、この東京裁判とは、真実を追求する裁判ではなく、
「戦勝国が、敗戦国を思いのままに裁いていく」
という、ほとんど〝見せしめ〟のようなものだったのです。

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こうして、連合国(戦勝国)側が明らかに国際法に違反した行為を散々行っていたにもかかわらず、その責任追求は一切なされないまま、日本側が一方的に問い詰められる形になっていました。(そのため、東京裁判は「もともと結論ありきの茶番劇だった」という見方をする人もいます)
じゃあ、「そんな理不尽な裁判、受け入れる必要なんてないじゃないか!」って思いますよね?
でも、当時の日本人は、この「理不尽な裁判」を受け入れました。
なぜ・・・?
この話題になると、松本先生はいつも熱くなってこうおっしゃいます。
その場の「空気」にのまれてしまう
日本人の国民性に一つ言いたい。
「そこに正義はあるのか?」と。
日本人は、実際やってもいないことで責められても、何も言い返さず、受け入れて従ってしまう側面があります。もちろん、それは他人事も自分事として受け入れ、反省し、次へと生かす。そんな日本人ならではの良さでもあります。でも、外国との関係を築く上では、その「良さ」が仇(あだ)となったのです。
その結果、戦勝国の思うままに日本人は裁かれ、自国への誇り、日本人であることへの誇りを失ってしまったのです。
「今の日本人に足りないものは何なのか…?」
松本先生は、その答えをずっと探究されていました。そうして、出した結論が、
「日本人には、ディベートが必要だ」。
西洋は、シロかクロかをはっきりさせる文化です。
そのため、つねに思考は論理的で、日常会話がすでにディベートのよう。「英語」という言語も、とてもロジカルです。
一方、日本人は「シロクロつける」という発想が強くありません。意見がぶつかっても、「まぁまぁ」と折り合いつけて丸く治め、済んだことは水に流す、という文化。ディベートをそもそも知らないのです。
そこで、英語でも日本語でもきちんと意見を表現できるように開発したのが、松本先生のオリジナル「ディベート」です。

本来のディベートは、相手を「論破」するもの。しかし、松本先生の編み出したディベートは、勝敗を決めるものではなく、自分の意見を主張しながらも、相手の意見も聴きながら、「その両方が生きる形にするには、どうしたらいいだろう…?」と、知恵を絞るスタイル。
つまり、その時、その場所、そのメンバーにおける「“真実“を追求すること」を目的としたスタイルで行っているのです。(具体的な方法は、映画道場で!)
「日本を守りたい」
その想いを柱に、松本先生はこの「ディベート」を日本に広めることを生涯の使命とされてきました。
実際、教わった人は皆、実感します。
「日本人にディベートの文化があれば、歴史は変わったかもしれない…」と。
日本側だけでなく、戦勝国側からも「この裁判はおかしいのではないか?」という声があがっていたそうです。実際、日本占領の総括をしていたマッカーサーも、数年後に「東京裁判は、間違いだった」と認めているぐらいですから…。

この「東京裁判」の真実を学び、参加者の皆様も、驚きのあまり、ため息をつく場面もありました。
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では、ディベートをしてみると、何が見えてくるのでしょう?
たとえば、今回、初めて「映画道場」に参加されたMさん。
始まる前に、「自分が英語を話すとき、どうしても劣等感を感じる。欧米諸国に対する日本人のコンプレックスの真相をつかんで払拭したい」と言っていました。
そんな彼女が、ディベートで自分の意見を発表する順番になったとき、松本先生から、こう言われたのです。
「I’m proud of Japanese ! とお腹から声を出していってごらん」と。
彼女は言いました。
「I’m proud of Japanese!」
(私は日本人を誇りに思う!)
一瞬、自分の言った言葉に驚いているようでした。
そうして一つ殻を破ったかのような、晴れやかな表情に変わっていたのです。

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映画道場を準備している頃から、「東京裁判」にまつわるいろいろなエピソードを学びましたが、その中でも特に衝撃だったのが、この言葉です。
「東京裁判の影響は、
原爆の被害よりも甚大だ」
これは当時、唯一の国際法の専門家であったパール判事の言葉です。
「あの原爆よりも!?」
驚きました。
しかし、戦後の日本の歩みを振り返ってみれば、パール判事の言う通りだとわかってきます。自分の国に対する誇りと自信を失うことほど、恐ろしいことってあるでしょうか。
子どもたちは学校で、「日本は悪い国だった」と教えられ、自虐的な歴史観を植え付けられたまま、大人になっていく。
政治家たちは、中国を相手にまともな外交ができません。
アメリカナイズされた若者たちは、日本のことを堂々と語れない…。
何十年もかけて、日本は、自国への誇りや、愛国心を失ってしまったのです。(それが、戦勝国側の狙いだったのかもしれません。)
もちろん、日本にとって良い面もあったでしょう。欧米の考え方、やり方を取り込んだおかげで、驚くほど速く復興を遂げ、経済は発展しました。平和憲法もできました。
しかし、たしかに物質的には豊かになったけれど、日本人としての精神性を失ってしまって、「幸せな人生を歩んでいる」と胸を張って言える人は果たしてどれほどいるのでしょうか。

日本は、不思議なことに、学校で子どもたちに「日本のすばらしさ」を教えないんですよね。家庭でも、日本の神話や民話を読み聞かせることもない。
それよりも、ディズニー映画やハリウッド映画を観せたり、ディズニーランドやUSJに連れて行ったりする方が多いでしょう。
もちろん、それによって楽しみをもらっている面もあります。けれど、そういった日常的に触れるものから、わたしたちの人生観ができあがっていくのです。
イギリスの歴史学者、アーノルド・トインビーが世界中の民族を研究し尽くした先で、「滅亡する民族の共通点」として、こんな言葉を残しています。
「自国の神話を学ばなかった民族は、
例外なく100年以内に滅びる」。
戦後、わたしたちが神話を学ぶ機会を失ってから70年以上が経ちます。このままいくと、日本人は、大事な精神性を取り戻せないまま、じわじわと衰退してしまうかもしれません。
ぜひ、これを読んでいるあなたも、「日本人がずっと大事にしてきた精神性とは何なのか」という問いを持って、日常の中で目の前の人と接してみてほしいなと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。