秘密結社フリーメイソンの正体【松本道弘×落合莞爾・むすびディベート】

ワンワールド史観を提唱する歴史研究家の落合莞爾先生と
日本屈指の英語同時通訳者として活躍し、英語道を提唱する松本道弘先生が

日本の歴史に隠された謎について対談してくださいました。

西洋風の「そっちが間違っている」「こっちが正しい」という「2つにぶった切る」考え方ではなくて、

お互いの共通点を見つけて、結び合わせていく、日本初のディベート。

題して「むすびディベート」。

お互いの意見を〝むすび合わせ〟ながら、

新しい価値観が創造されていく濃密なディベートが繰り広げられましたので、その内容をレポートいたします。

フリーメイソンというのには、2つの組織があります。

表は、友愛団体のフリーメイソン、もう1つは、秘密結社グラントリアドフランス(大東社)

世間では、大東社はもう潰れたと言われています。


しかし、大東社が本当の計画者なのです。
その中心がハプスブルク家です。

大東社のように裏に徹して、
表に出ない方が強いですよね?

強い、弱い、というよりも、
グラントリアドフランス(大東社)は、
国際社会・地球社会全体の調和をする働きをしています。


大東社を作ったのが、
メソポタミアから発生した「ウバイド人」です。

シュメール文明の始まる前に、
ウバイド人は存在しています。

ウバイド人は、
シュメール人に文明を渡して、
インダスに移動して、金を採っていました。

通常、農耕地を開拓するときは、
河口でやります。

農耕地を開拓するには、
河口を干拓し、埋める土がないので、潟の部分に
堤(つつみ)を設けて、水を内側へ集めます。

そうすると周りが固まっていって、
これが農耕地になるのです。

そして、
山上から風化して砂になって流れてくる時に、
金も一緒に流れてきます。


その時に「金」が採れます。

最初の頃、金は簡単に見つかりましたが、
それをウバイドが全部取ってしまったのです。

フルベッキについて。

話を、少し現代に戻します。
フルベッキという英語を教える先生がいましたよね?
彼について詳しくお聞かせください。

フルベッキは、
日本の伏見宮が呼んできました。

なぜフルベッキを日本に呼んだかというと、

1848年に共産党宣言が出て、
「諸国民の春」という革命が起きましたよね。

青年党も出てきて、
共産主義が
やがて日本に来るのは目に見えていました。

だから「あらかじめ、ガス抜きをしておこう。」と、
フルベッキを日本に呼びました。

つまり、フルベッキは、
共産主義のガス抜きのために日本に呼ばれたのです。

しかし、日本はフルベッキに振り回されていましたよね?

振り回されていませんよ。
そもそも、フルベッキを雇ったのは日本ですから。

耶蘇教(やそきょう=キリスト教)の宣教師として来ていましたが、
それがバレてしまっては、捕まって殺されてしまうので、

万が一のために、「英語の先生」として来ていました。

「たまたま、宗教はキリスト教かもしれないけれど他意はない」
という理由をつけて。

フルベッキ群像写真の謎について

それにしても、フルベッキ写真はすごいですね。
大室寅之助が真ん中にいて、西郷隆盛など明治の英雄たちがみんな勢揃いで写真に写っている。
この人たちは、本物ですか?

嘘ですよ(笑)
あれは全部、誰が誰に扮しているのかバレています。勝海舟を演じているのは、相良(さがら)という医者です。

この写真(フルベッキ写真)ですが、
こんなにも勢揃いで並んでいると、どうも合成写真的だな、と思うんですよね。

あれは、上野彦馬(うえのひこま)が撮影しました。
当時、合成写真の技術はありませんでしたからね。

つまり、
別の人がそれぞれの役を演じて撮影している。
ということです。

これらは、全て佐賀藩がやったことです。

「大政奉還をやれ」と唆(そそのか)されて、ですか?

いいえ。
実は、このフルベッキ写真は、
明治2年、つまり大政奉還が既に終わった後に、
撮影された写真です。


明治2年の秋に、大隈重信の斡旋(あっせん:取り計らい)で、フルベッキは大学東校(現在の東大法学部)の教頭になりました。

だから、
フルベッキの送別会をすることになったのです。

写真では、
岩倉具視(いわくらともみ)の息子さんが写っています。
息子さんたち2人は、英語を習いに来ていました。

実は、岩倉を守った小栗忠順(おぐりただまさ)を殺したことになっている男も、この写真に入っています。
彼は、後に京都大学の学長になっています。

この写真、
大隈重信がいないのが不思議なんですよね。

なぜいなかったかというと、
大隈重信は横須賀の裁判所(県庁)にいたからです。


この時の裁判所とは、
「県庁」を表す言葉だったのですが、

なぜか評論家の中では、「大隈は裁判官だった。」と言っている方がいます。

しっかり研究していないし、
先生も正しいことを教えてない。

府藩県三治制(ふはんけんさんちせい)も、
そもそも、その本当の意味を知らないし教えられていません。

まず受験生には、こういう部分の、
本当の意味を教えないといけませんよね。

その上で、受験生にとってこれは必要だ!というものは何でしょうか?

受験のためだったら必要ありません。

受験は表の歴史しか問われないので、本当の歴史を知ってしまうと受験には不利でしょうね。

でも、歴史の流れを知っておかないと。

確かに、歴史的事実は知っているだけど、今の教育って、思考や思索がないんですよね。

そうそう!そこなんですよ。

私は、私塾をやっていますが、
知識を教えているわけではありません。

「思考せよ!!」
「考えればわかるんだ!!」

と。

御意!なんちゃって(笑)

学力の原点は、「疑問」ですよ。

”疑問を抱くこと”が大事なんです。

そうしたら受験生は、
学力がいっぺんに上がるでしょう。

わからなかった時に、ここまででいいや。で諦めるのではなく、なんでだろう?と少しでも疑問に思ったら掘り下げて解決する。

とことん集中したら、
1日、2日で答えがわかります

三井物産と小栗家との関わりについて。

日本の歴史だけ見てもわからないですよね。

例えば、経済史でも、
「なぜ三井物産ができたのか?」がよく分からない。

落合先生、裏の画策はあったのですか?

三井物産は、小栗忠順が作りました。

あれは、万延時代(1860~1861)のときに、
井伊直弼が小栗忠順を起用して、アメリカに送っています。

FRB(フィラデルフィアの造幣局)に小栗が行った時、「将来、合衆国の金融は小栗がやるんだ。」と決まりました。

1913年に連邦法(アメリカ法)ができて、

1910年頃には、世界の金融がアメリカに集まってきて、お金をどんどん刷ってもいいんだ!となっていました。

その時、小栗さんはアメリカにいましたか?

はい、いました。

小栗は、先祖はヨーロッパから来ていて、アメリカのフィラデルフィアに入りました。

小栗宗湛(そうたん)という画家が、
室町時代にいまして、

室町時代から、
端を発して、いくつか小栗系の家ができていきました。

ワンワールドの全体像

落合先生、ワンワールドの全体像を教えてください。

ワンワールドは、
東極が日本で、西極がスコットランドです。



メソポタミアから、
日本とスコットランドに分かれました。



日本の縄文人がいたところに、
ウバイド人佐伯(さえき)氏という一派=修験(しゅげん)が来ました。



もう片一方は、
山の佐伯、海の佐伯という、ケルト人です。

コーンウォールからもう1回出て、
アルモリカ(ブルターニュ地方)に入りました。

ユダヤと日本の関係性

言い方は悪いですが、
ユダヤは被り屋(代理人)です。

犠牲になる代わりに、
お金を受け取っているという立場なのです。

だから、日本が大事な役割を果たしている。

そういえば、ニョーヨークで聞いたら、
「日本とユダヤは兄弟ですよ。」と言われましたね。

なぜ日本が大事な役割を果たしているのですか?

日本がお金の元だからですね。
なぜ、日本がお金を握っているのか?

答えは、金(きん)ですよ。

あの、ウバイド時代に、
大河文明で全部金(きん)をかき集めた。

日本は、
金(きん)を集めきってから文明が始まった国です。

最初から金(きん)を持っている。
だから、最初から金儲けする必要がないのです…。


講師紹介


1940年大阪生まれ。関西学院大学卒業。日商岩井に勤務する間に、海外渡航の経験なしに独力で英語を磨く。その後、西山千氏(アポロ月面着陸時に、日本で初めて英日同時通訳)に師事し、その推挙でアメリカ大使館の同時通訳者となり、後にNHKテレビ上級英語講座の講師を勤める。日本にディベートを広めたことでも知られる。(ディベート教育暦約40年)現在、紘道館館長、国際ディベート学会会長。インターネットテレビNONES CHANNELで有名英語雑誌「TIME」の解説番組「TIMEを読む」に毎週出演。提唱する英語道に基づいたICEEコミュニケーション検定試験を年1回主催。英語教育や日本文化に関して140冊を越える著作がある。 CHANNELで有名英語雑誌「TIME」の解説番組「TIMEを読む」に毎週出演。提唱する英語道に基づいたICEEコミュニケーション検定試験を年1回主催。英語教育や日本文化に関して140冊を越える著作がある。

東京大学法学部卒。住宅経済と社会資本の分析に従事する。『経済白書』の作成にも携わる。その後は、商法および証券取引法に精通し、日本初のM&Aを実現する。落合莞爾事務所設立後は経営・投資コンサルタント、証券・金融評論家として活躍。近年は、日本史に関する見解を「落合秘史」として発表し続けている。