ワンワールド史観を提唱する歴史研究家の落合莞爾先生と、日本屈指の英語同時通訳者として活躍され英語道を提唱する松本道弘先生が、日本の歴史に隠された謎について対談していただきました。
西洋のように、「相手が間違っている」「こちらが正しい」という善悪の二元論に基づく考え方ではなくて、お互いの共通点を見つけ、結び合わせていく、日本初のディベート。
題して「むすびディベート」
お互いの意見を〝むすび合わせ〟ながら、新しい価値観が創造されていく濃密なディベートが繰り広げられましたので、その内容をレポートいたします。
落合先生は、野村証券に入られ、そして経済白書など公の仕事をされましたよね。キャリアを積まれて行く中でいろんな疑問が湧いて、日本史の世界に入って来れられたんですか?
子供の頃から、不思議に思っていました。
大体、「源平藤橘」と言われているでしょ?
(源氏、平氏、藤原氏、橘氏の)
四姓が日本人の8割くらいを占めている。と。
だとすれば、その4人から
別れたことになりますよね?
そんなバカなことはあり得ません。
子供の頃から、
ずっと疑問に思っていました。
子供の頃というのは、いつ頃からですか?
中学生の頃からです。
その頃、橘氏に興味を持ち始めまして・・・。
中学2年生の頃には、
勝手に、橘を名乗っていました(笑)
橘家といえば、
橘逸勢(たちばなのはやなり)だったり、橘諸兄(たちばなのもろえ)とか、
色々いましたけれども、
落合先生は、
その流れ(橘家)と関係があったのですか?
(関係があることは)あとで、分かりました。
昔から、橘家に対して、意識があったのですか?
きっと、潜在意識にはあったのでしょう。
私が橘家の「氏上(うじのかみ)」とまでは言いませんが。
落合先生は、中学生の頃から、成績は抜群に優秀だったのでしょう。いつから東大に行こうと?
東大なんてあること知らなかったですよ、中学の頃は。
高校は和歌山県立桐蔭高等学校です。
大学進学する時、親父と話したら、「行けるなら、東大に行ったらいいじゃないか」と言われましてね。
お父さんはどんな方でしたか?
私の父は、陸軍准尉(じゅんい)でした。
先生は、お父さんの精神を継いでいますか?
親父は、
石原莞爾(いしはらかんじ)※
に、傾倒(熱中)していました。
だから、私の名前も(本名は)「井口莞爾」。
※石原莞爾(いしはらかんじ)
:日本の陸軍軍人。満州事変の首謀者で有り稀代の戦略家として知られる。
石原莞爾は悲劇で終わり、
”無冠の王”と呼ばれますよね。
東条英機と対立して、知的なレベルは遥かに上でしたが、負けましたよね?
これホントのこと言っていいですか?
石原莞爾は酒田で八百長裁判をして、
それで結局海外に渡ったんです。
それで、
旧日本帝国陸軍の本筋を、
山下奉文(やましたほうぶん)と共に守った。
そこに馳(は)せ参じたのが、
麻薬を飲んで死んだとされている
甘粕正彦(あまかすまさひこ)
もう1人は、参議院議員になるといって
帰ってこなかった辻政信(つじまさのぶ)。
山下奉文のところに、石原、辻、甘粕が集まり、戦後の日本陸軍を海外でやっていました。
これの流れが分からないと、
今の情勢は分からないですよ。
八百長について
先生は時々、八百長の話をされますよね?
しかし
若い人たちは、日本の歴史を
まさか八百長とは思わずに
勉強していますが、どう思われますか?
確かに、“受験勉強“には、役に立たないでしょう。
実際、幕末は八百長ばかりですよね。
その中で、最大の八百長はなんですか?
最大の八百長は徳川慶喜でしょう。
それと、
会津と桑名の高須四兄弟です。
1人が会津藩を、1人は桑名藩をついで、
あとの兄弟は尾張藩の藩主を継ぎました。
彼らは、「わざと負けた」んです。
ということは、
井伊直弼も、八百長の犠牲者になりますか?
いいえ、
井伊直弼は、犠牲者ではなくて、「勝者」です。
井伊直弼は、死んでいません。
最初から井伊家に入る時から、そういうこと(偽装死すること)になっていて、
井伊直弼が井伊家に入る時に、
伏見宮邦家親王(ふしみのみやくにいえしんのう)と
青蓮院宮(しょうれんいんのみや)・久邇宮朝彦親王(くにのみやあさひこしんのう)の前でそのことを誓いました。
その後、
一身を投げ打って大老になって仕切る。と。
徳川慶喜に至る幕末の過程の最重要人物が井伊直弼。
偽装死をして、
井伊直弼はスイスに行きました。
因みに、スイスには、井伊直弼の子孫がいます。
井伊も入れ替わってますからね。
子供も、養子なので、血が繋がっていません。

最新のニュースで、宮家が復活するんじゃないか
と言われていますけど、これは、実際どうなのでしょうか?
それは、「反日国際連合」が、
皇室を根絶やしにしたいわけですよ。
それしかないんですよ。
共産主義なんかがそうですし、
日本社会党なんかは、実質共産主義でしたから。
皇室の断絶を祈る人たちが、内外共に有ります。
内では野党。
自民党の中にもいます。
『非共産主義勢力=世界王室連合』
王室連合というのは、アイルランドです。
そこに対立する、共産主義系統。
この人たちに政治思想はありません。
共産主義系統の人たちは、
ただ王家を根絶やしにして、自分たちの管理社会を作って、その中で格差社会を作って、
ノーメンクラトゥーラ(社会主義国での、共産党幹部や上級官僚などの特権階級)となって、
あとは奴隷的労働者を時間給で雇いたい。のです。
伏見家が世界に与えた影響とは?

私なりに分かりやすく解釈すると、
日本の文化を卵として、黄身の部分が天皇(菊)、白身の部分が刀。茹で卵にしたら下に少し隙間があって、気室(air cell)で、この窪みから酸素が出入りしている、この気室が伏見家である。
なぜ、伏見家はスパイもどきのようなことをしたのですか?
伏見家は、血統を保つために、どういう政権があっても、いつもここから出て継げるようにしました。
それを、「永泉親王伏見殿」と言います。
「永世親王」と言うのは、
何十代たっても親王であるってことです。
親王というのは、親王宣下(しんのうせんげ)※をしたら成れます。
(※親王宣下:後続の男子に親王の地位を与えること)
伏見宮って小さくて誰も意識してないですが、
落合先生は伏見宮をたいへん重要視されてますよね?
もし、伏見家が無くなったら、
日本の歴史はどうなっていますか?
(※伏見宮:かつてあった日本の宮家の一つ。宮家御紋は伏見宮十四裏菊。世襲親王家の4家の中では最も歴史が古く、持明院統の嫡流で北朝の崇光天皇の第一皇子栄仁親王を初代とする。)
伏見家がないことは有り得ません。
そうしたら、今頃日本はないでしょう。
伏見宮はヨーロッパに移った?
伏見宮貞成親王の長男が後花園天皇になりまして、その弟の貞常親王は子だくさんで、20〜30人くらいの子供がいます。
中には、その人々がヨーロッパまで行って海外に伏見宮を作っている。多くはヨーロッパ貴族になっています。
その例を挙げると、
タクシーの語源になったタクシス家※。
スイスの時計屋(ブランド)はみんな伏見宮です。
あと、グッチとか、エルメスとかも伏見宮ですよ。
もとは、日本から、ということです。
(※トゥルン・ウント・タクシス家:神聖ローマ帝国の郵便制度を司った一族である郵便網の支配によって巨万の富を得た。)
なぜ大室寅之助が明治天皇になれたのか?
皇室の中で南朝が中心と言いながら、
大室虎之助が明治天皇に首をすげ替えたと言われています。
それを醜いと捉えてる人がいますよね?
(明治天皇すり替え説:長州藩の大室寅之助が本来の明治天皇とすり替えられて天皇になったという説)
大室寅之助は、
後醍醐天皇の長男の興良(おきなが)親王の直系です。
だから、いつでも出てこれたわけですよ。
孝明天皇(明治天皇の父)も、
すげ替えされてるか分からなかったのですか?
実は、光格天皇の時代から別の王統になってるんですよ。それが、ベルギーです。ベルギー王家は護良(もりなが)親王の子孫です。
ネーデルランド(オランダ)のヴィルヘルム1世も、みんな護良親王の子孫です。
もし、オランダの王家が日本に来たら、いつでも天皇になれるんです。
護良親王の子孫であることが第一条件。
だから、大室寅之助が天皇になれるのです。
一般的に、「明治天皇のすげ替えは汚い」という認識が広がったというのは、ある種、ウイルスのようなものですね。
これは、戦争に負けて、
そういった認識になってるだけだから、
アメリカが持ってきたウイルスですよ。
一神教はウイルスです。
それに対する、
“免疫体”として日本は戦ってきました。
一番、免疫体として戦ったのが「関ヶ原の戦い」です。
山王一実神道(さんのういちじつしんとう)を天海※が作りました。
天海は、伏見宮です。
(※南光坊天海(なんこうぼうてんかい):徳川家のブレーンとして知られ黒衣の宰相と呼ばれた僧)
いざ、というときに伏見を継ぐために
伏見宮が丹波に「安藤」という別家を作りました。
ずっと伏見宮邦良親王まで続いていましたが、
伏見を潰すことになり、それで、「久邇宮※」を作りました。
久邇宮のお嬢様が結婚したのが、
裕仁(ひろひと)親王(昭和天皇)です。
(※久邇宮は明治時代前期に朝彦親王が創設した宮家。戦後はGHQで皇族から外れ旧宮家となった。)
講師紹介
1940年大阪生まれ。関西学院大学卒業。日商岩井に勤務する間に、海外渡航の経験なしに独力で英語を磨く。その後、西山千氏(アポロ月面着陸時に、日本で初めて英日同時通訳)に師事し、その推挙でアメリカ大使館の同時通訳者となり、後にNHKテレビ上級英語講座の講師を勤める。日本にディベートを広めたことでも知られる。(ディベート教育暦約40年)現在、紘道館館長、国際ディベート学会会長。インターネットテレビNONES CHANNELで有名英語雑誌「TIME」の解説番組「TIMEを読む」に毎週出演。提唱する英語道に基づいたICEEコミュニケーション検定試験を年1回主催。英語教育や日本文化に関して140冊を越える著作がある。 CHANNELで有名英語雑誌「TIME」の解説番組「TIMEを読む」に毎週出演。提唱する英語道に基づいたICEEコミュニケーション検定試験を年1回主催。英語教育や日本文化に関して140冊を越える著作がある。
東京大学法学部卒。住宅経済と社会資本の分析に従事する。『経済白書』の作成にも携わる。その後は、商法および証券取引法に精通し、日本初のM&Aを実現する。落合莞爾事務所設立後は経営・投資コンサルタント、証券・金融評論家として活躍。近年は、日本史に関する見解を「落合秘史」として発表し続けている。